制作現場から

手書きメニューに高級店が勝てない理由

居酒屋の入口、黒板に書かれた「本日のおすすめ」を見て、なんとなく頼んだことはありませんか。

印刷されたメニュー表は読まなかったのに。


高級なメニュー表より、チョークの文字に手が動く

ちゃんとしたお店ほど、メニューにお金をかけています。

写真はプロのカメラマンが撮ったもの。説明文は丁寧に校正されたもの。紙もラミネートか、革張りのカバーつき。どこを見ても「きちんとしている」という印象を受けます。

でも、レジ前の黒板に「今日のオススメ! ぶり大根 780円」とチョークで書いてあると、なぜかそっちに目が行く。

しかも、頼む。

これ、よく考えると不思議じゃないですか。

情報量はメニュー表の方がずっと多い。写真もある。説明もある。なのに、情報の少ない黒板の方が「注文してみよう」という気持ちを引き出す。

高級店が一番コストをかけた「見せ方」に、チョークの走り書きが勝つ場面があるんです。

なぜそうなるのか、少し考えてみたいと思います。


人は「整いすぎたもの」を信頼しにくい

メニュー表に書かれた文章は、誰が書いたかわかりません。

デザイナーが作ったのか、本部のマーケティング部門が決めたのか、あるいはテンプレートに流し込んだのか。「おすすめ」という言葉も、本当においしいから書いてあるのか、原価率が高いから推しているのか、正直なところ読んでいてもわからない。

一方で、黒板に書かれた文字は違います。

文字が少し揺れている。行がわずかに曲がっている。「」が手書きらしくはねている。そういう細部に、「今日、誰かがここに立って書いた」という痕跡があります。

人間は、意識しないところで「これは人が作ったか、機械が作ったか」を読んでいます。

整いすぎたものには、人の気配がない。人の気配がないものは、「誰かの意志で選ばれた」という感覚を持ちにくい。

たとえば、手紙と印刷物の差を想像してみてください。同じ内容でも、手書きの便箋に書かれた文章の方が「この人が自分のために書いてくれた」と感じませんか。黒板のメニューも、それと同じ構造です。


「今日だけ」という言葉が黒板に似合う理由

もう一つ、黒板が持っている力があります。それは「今日限り感」です。

印刷されたメニューは、変わりません。少なくとも、すぐには変わらない。去年も今年も、同じ写真で同じ説明文が載っています。

黒板は違います。消せる。書き直せる。今日の仕入れ、今夜の気候、料理人の気分、そういうものが反映される媒体です。

「本日のおすすめ」という言葉は、印刷されると少し嘘くさくなります。でも黒板に書かれると、その言葉がちゃんと「今日の話」になる。

メニュー表(印刷)黒板(手書き)
いつでも同じ今日だけ
誰かが決めた誰かが今書いた
整っている揺れている
読む見る
情報として処理気持ちが動く

この表を見ると、どちらが「優れているか」という話ではないことがわかります。整ったメニュー表は、選択肢を整理するのに向いている。黒板は、感情を動かすのに向いている

そして、人が「頼もう」と決める瞬間は、情報の整理の後ではなく、感情が動いた瞬間であることが多い。


発信でも、同じことが起きている

SNSやブログで発信していると、「ちゃんとした投稿を作らないといけない」という気持ちになることがあります。写真のクオリティを上げて、文章を推敲して、誤字がないか確認して、構成を整えて。

でも、そこまで仕上げた投稿が、スマホのメモ書きみたいな投稿より反応が少なかった経験はありませんか。

あれは、努力が足りないわけじゃないんです。

整いすぎた投稿は、黒板ではなくメニュー表になっているだけです。

情報としては完璧でも、「今この人がここにいて、これを書いた」という痕跡が消えている。読んでいる人は、その投稿を通して「人」を見ようとしているのに、人の気配がない。

商品の説明が完璧なのに売れないとき。プロフィールがきれいなのに問い合わせが来ないとき。サービス紹介が整っているのに反応がないとき。

そういうときは、「もっと整えよう」ではなく、「もう少し黒板にしよう」という方向の方が変化が出やすいことがあります。

ちょっとした走り書きのような投稿。今日気づいたことをそのまま書いた文章。完成していないような言葉。

そういうものに、人は「今日ここにいる人」の気配を感じて、読み続けます。


揺れた文字の中に、信頼がある

完璧を目指すことは悪くない。

でも、完璧にするほど「誰かが作ったもの」になっていくという側面もあります。

黒板が強いのは、クオリティが低いからではなく、「今日ここにいる誰かが、今日のために書いた」という事実が伝わるからです。

そのまま発信に置き換えると、技術より先に「今日の自分がここにいる」ということを見せることが、ときに一番届く方法になる。

居酒屋の入口の黒板を次に見かけたとき、少し違う景色に見えるかもしれません。 チョークの走り書きの中に、誰かの意志と今日という時間が入っているんだな、と。

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